主語のない議事録を書くくらいなら、餅のない雑煮を食べた方がマシだ。
新年明けましたね。あけましておめでとう。僕は、今年はいつになく季節感のない年始を迎えております。大晦日から元日にかけて東京の某店で夜明けまで酒を飲んでしまって、早朝、山手線の駅で嘔吐し、ホームで寒さに震え、ほうほうの体で筑波に帰宅し、瀕死の元日でした。そんなわけで1〜2日は部屋に閉じこもってずっとYouTubeとTwitter観てました。とほほ。今日は3日で、もう体調は改善したんだけど、喉がやられている。部屋の石油ファンヒーターを使うのはやめにして、暖かい格好をして、冷たいものを避け、明日の初詣に備えようと思っています。元日は地震があって、やりきれない気持ちですが、でも前を向くしかない。そもそも1月1日というのは、始まりという大きな役割を持つ日ではないか。始まるというのはそういうことなのだから。さあ、頑張ろう。
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さっき散歩しながらSNSを眺めてたら過去の政権のずさんな議事録管理を伝えるニュース記事が流れてきた。
議事録ねぇ、、、そりゃあ大事なログだよね。よく政権批判のネタにも上がるやつでお馴染みの感すらある。議事録ってのは、その場で誰がどんな発言をしたか、という、いわば証拠ってやつだ。大事な記録だ。
でも。。。「でもさぁ」、、、ってちょっと思ったので、以下思ったことを書く。(なんかおもろいタイトル書けないかな…って思ったんだが、むずいな)
僕は、30年位前に、某大企業に新卒で入ったんだけど、んで、まぁそこは日本の中でもトップクラスに大規模な会社で、んで2、3年だけ働いたんだけど、新人はやらされるわけよ、議事録作成。
もう嫌で仕方がなかった。だって誰も彼もが、主語を省略した話し方しかしないんだもの。ホントよく覚えてる。そのクセその通りに書いて上司に提出すると「何が何だかわからん(怒)なにがどう決まったのか、わかりやすく書け」なんて言われる。おいおい、そもそも何を決めるのかも会議の前に明確になっていなかったし(ただの定例会なのだ)、「誰が何を」的な5W1Hをはっきりと発言している人なんてほとんどいなかったんだから、書きようがないじゃんっ!!と思ったものだ。
僕は、もうホントに訳が分からなくなり、MDウォークマンを会議室に持ち込んみ、録音し、それをプレイバックしつつ、文章をなんとか書いていた。要は音声起こしだ。んで、それを提出したら、上で書いたような怒号を浴びたわけだ。
要は、根回しをしろと。上司の言いたい事というのは、そういうことだった。会議が終わった後、出席した幹部クラスの人間、関連会社の人間に「こういう議事録でいいでしょうか」とお伺いを立てる。あるいは、実際の発言の内容よりも、この会議に出席していない人がその議事録を読んで、何が決定したのかがわかるように書けということらしい。内心「こないだの会議、、なにも決まってなくない??」ってもちろん思ったのだが、自分はプロジェクトの取りまとめの部署にいたので、そこから出る議事録の内容は、最も効力を持つ内容になる、つまり、会議によって物事が決まるのではなく、実際は上層部(つまり新人の自分がいるこの部署だ)が決定する、ということなのだな、と、うすうす感じた。
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もう、、、なんていうか心の底から「会議とは無意味だ」と思った。でも、そうは言っても新人の仕事としてこなさなくてはならなかったので、まあ苦しみながらやったけど、今思い返しても無意味だと思う。いや、会議が無意味というよりも、目的の設定されていない会議は無意味だ、といったほうが良いか。
それと、主語。発言者の発言にほぼと言って良いほど、主語が含まれていない。なので、内容はなんとなく入ってくるけど、責任を負うべき立場の「人」だけが曖昧のまま進んでいく。当然それを文字に起こしても同じだ。むしろ、その「曖昧」さがより「明瞭」になり、難解な資料が量産される。
もう、これって、日本語の問題なのかな、とも思った。あるいは、議題や意見や評価を客観的に捉えるのが苦手、つまり議論そのものが苦手だっていう、我々日本人(もちろん僕も含まれる)の問題なのかもとか。
そんな体験も、もうかなり昔の話だし、今は様相が違ってきているのかもしれないけど、本質的にはあまり変わっていないだろうと思う。もちろん「資料を残す」というのは資料の内容や質とは無関係に重要なので(それがオリジンなので)、やるべきことだと思う。でも、それを掘り起こして得られる物は何かよくわからないドロドロだけ、ってなることが多いと思う。