寿司屋の思い出

こんにちは、暑いですね。今つくば市の気温は36度です。なんとなく空気が澱んでて、いろいろなものが霞んで見える気がします。まぁそろそろお盆だし夏本番だし、後戻りはできない、今年もこの酷暑を受け入れて生きていくしかないですね、あ、ちなみにいまiPhoneでパキスタンのカラチの気温を調べてみたらちょうど36℃でした。イスラームに改宗して、ラマダーンの習慣だけでも取り入れたいものです(基本夜に活動)。

さっきTwitterを見ていたら、寿司職人が、笑いながら手に持ったスプレーで金粉をネタや客の手やカウンターに振りかけまくってる動画が流れてきて、「なんてけしからんことをする板前なことか」と憤慨しそうになった。しかしまぁ、、、あくまで寡黙で、客の注文にもろくに返事なぞせず、黙って寿司を握り、「へい、お待ち」と、ぼそっと呟き、握りを差し出すような板前ってのはもう過去の話になってしまったのかな、とか、思った。

物価も高くなり、懐もさびしいし、すっかり寿司屋に入ることがなくなってしまったが、寿司屋っていいですよね、やっぱり。間口は狭くて、でも店前はきっちりと清められていて、夏なんかは水がキチンと撒かれている。店に入ると、まず酢飯の香りがして、それほど大きくない声で板前の「へい、いらっしゃい」の声がする。木組みの角ばった椅子に腰掛けて、おしぼりで手を拭き、とりあえず……、マグロとイカ、みたいに注文。注文なんて聞いてるのかよくわかんないくらいに、常に板前さんってのは動いている。なにやらネタを捌いていたり、下ごしらえしたエビを容器の中に詰めていたり、ほかにも色々な細かい作業を常にしている。「シェフというのは厨房で最も仕事をしている人のことだ」というのは僕の私淑する菓子職人の言葉だが、まさに板前は「常に動いている人=シェフ」といえる。そして、我々の心配をよそに、板前はちゃんと客の注文は聞いている。必ず。なので、しばらくすると「へいおまち」の声と共にマグロとイカが二貫ずつ目の前に差し出される。ネタを、わさびをといた醤油につけ、もぐもぐと食べる。うまい。次はエビとハマチかな、と思う。

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小さい頃、住んでいた団地の近くに「やすけ」という寿司屋があった。家族でよく食べに行ったりしたし、七五三の祝いの時には二階の座敷で親戚が集まって祝いの膳を用意してもらったこともある。とても親しみやすかった店で、夜の開店前に遊びに行ったりして、見習いの若い板前さんなんかが小豆のアイスをくれたり、ガキだった僕らをよく構ってくれたりしたこともあった。ちゃんとは覚えていないけれど、子供ながらにマグロって美味しいなと思った。マクロの美味しさは、この寿司屋で食べた寿司が自分の中の基本になってる気がする。あと、玉子。ここの玉子は美味しかったな。玉子とシャリには海苔が巻かれてて、その海苔の風味もとても香り高かった。まぁなにしろ子供だったので他のネタはほとんど覚えて無いけど、母に聞いたら「あそこの穴子は本当に美味しかったのよ」と言っていた。

その後、田舎に引っ越した。高校の頃祖父が亡くなり、霞ヶ浦のすぐ近くの高台に祖父は埋葬された。その墓地の近くにある千歳寿司という寿司屋で、祖母や家族と共に食事をすることになった。店構えも妙に暗く、とてもオープンな雰囲気とは程遠い。場所も相当に奥まった所だ。「こんな辺鄙なところに寿司屋なんてあるんだな」とちょっと不思議な気持ちになったのだが、出てきた寿司は予想を超える美味しさだった。ネタは新鮮でとても大きく、シャリも大きくて、食べ応えがあった。酢飯もしっかり仕込まれていて、ほのかに温かく、ほの甘くふっくらしていた。後から聞いた話だと、住んでいた村の役場の偉い人とかの御用達として使われていた店でもあったそうだ。

蒲田に住んでいた頃は、よく東口駅前の回転寿司屋に通った。とても繁盛してた店で、常にお客でいっぱいだったが、回転のいいせいかあまり待たずに座れる。回転がいいので、レーンには活きのいい握りが常に流れていて、気兼ねなく寿司皿を取っては食べまくっていた。反対の西口側にも回転寿司屋があった。でもそこは一度しか行った事がない。残業で遅くなって東急の終電を逃してしまい、お腹も空いていたのでタクシーに乗る前に細い路地にあるその回転寿司屋に入ったのだ。もう0時を過ぎている。板前さんが手持ち無沙汰な感じで店内に1人だけいて、レーンには何も乗ってなくて(しかも半分だけしか廻してなかった)、注文したら握ってくれて、レーンに乗せて、ぼくがそれを取って食べた。こんなに寂しい回転寿司屋なんてあるんだなとその時思った。なので味がどんなだったか、ほとんど覚えていない。

安全運転、大事。

twitter に教習所の思い出・車の運転のことをつらつらと書いたのでこちらに書き留めておく。

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はてさて…果たしてアレはイジメだったのかどうかそういえば。。。

もう遥か昔のことなのであまり思い出せないが、たしか常に白バイ警官みたいな「いでたち」をしてた割りに若めの教官だった。

まず、教習車に乗る前の点検で猛烈に怒鳴られ(何故かは失念)周りはどんどん発進してる中自分だけは延々と罵声シャワーを浴びる。んで教官の機嫌最悪な雰囲気で2人で車に乗り込んで、クラッチ操作がぎこちないのにまたもやブチギレられ。

もうこっちはメンタルボロボロで(基本気弱いので)何もかもがうまくゆかなくなってる。ほうほうの体で路上に出るも、「もっとスピード出せや!!」だの「さっさとウインカー出せよ!!」だの怒鳴られっぱなし。挙げ句の果てに国道の坂道の信号待ちで発進でまごついたら(クラッチ操作が苦手だった)大笑いされ「もう(苦笑)、、、いいから、はやくやれや…」と、匙をを投げられた。

…確かこんな感じの体験だった。まぁ運転が下手だったのは認めるが、ここまでメンタルをやられたのは人生で初の経験だったので、そういう意味では貴重な体験だったのかもしれない、たぶん。

たしか、「おめえみてえなのは運転なんかすんじゃねえ」みたいなこともゆわれた気がする。「そんなぁヒドイ😨😨😨」と思ったものだ。

…そして、まぁなんとか免許が取れて1、2年後。ちょうど大学で忙しい生活を送ってた頃だ。徹夜で大学で練習してた後早朝車で自宅に帰る途中追突事故を起こしてしまった。

これまでの人生で、後先にも唯一の追突事故。詳細は省くが完全に自分の非で起きてしまった事故だった。眠気でうっかりブレーキを踏み損ねたのだ。もちろん免停。相手の車も破損したので、民事的にも責任を負う立場になり。確か未成年ということで家庭裁判所にも出頭した。

そこでもかなりみっちりと指導をされ、(嗚呼、やっぱり俺は運転に向いてないのか)とか、結構深く自省させられた思い出がある。

先の教官はこういう事態をお前はきっと引き起こすだろうなってのを予見してたのかなぁとか、今になって思うところもある…気もする。真相は不明だが。

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その後、、、まぁ特に違反も事故も起こすことなく…という日々を過ごしたが、二十代の後半、スピード違反で免停になった。横浜横須賀道路で、結構なスピードで走行してしまったところをオービスに撮影された。警察に出頭した際に証拠写真を見せられ「あっっ!!」って驚いてる自分の顔がバッチリ写ってるのを見せられ驚愕する。二度目の免停。アホだ。周囲の人にも「お前は何をやってるんだ」と呆れられ、改めて運転を省みようと思った。

それ以後は殆ど大きな違反は無い。一時停止違反を一回、シートベルト違反を一回。それぞれ10年前位にやってしまったが、その後は平穏に時はすぎ今はなんとかゴールド免許を所持できている。

前回の免許更新の際に安全運転DVDをみる機会があったが、「うんうん、たしかに、その通りだ、安全運転は大切だよな」という気持ちを抱いたものだ。俺も少しは成長したのかもな、という気持ちになったのを覚えている。

主語のない議事録を書くくらいなら、餅のない雑煮を食べた方がマシだ。

新年明けましたね。あけましておめでとう。僕は、今年はいつになく季節感のない年始を迎えております。大晦日から元日にかけて東京の某店で夜明けまで酒を飲んでしまって、早朝、山手線の駅で嘔吐し、ホームで寒さに震え、ほうほうの体で筑波に帰宅し、瀕死の元日でした。そんなわけで1〜2日は部屋に閉じこもってずっとYouTubeとTwitter観てました。とほほ。今日は3日で、もう体調は改善したんだけど、喉がやられている。部屋の石油ファンヒーターを使うのはやめにして、暖かい格好をして、冷たいものを避け、明日の初詣に備えようと思っています。元日は地震があって、やりきれない気持ちですが、でも前を向くしかない。そもそも1月1日というのは、始まりという大きな役割を持つ日ではないか。始まるというのはそういうことなのだから。さあ、頑張ろう。

* * *

さっき散歩しながらSNSを眺めてたら過去の政権のずさんな議事録管理を伝えるニュース記事が流れてきた。

議事録ねぇ、、、そりゃあ大事なログだよね。よく政権批判のネタにも上がるやつでお馴染みの感すらある。議事録ってのは、その場で誰がどんな発言をしたか、という、いわば証拠ってやつだ。大事な記録だ。

でも。。。「でもさぁ」、、、ってちょっと思ったので、以下思ったことを書く。(なんかおもろいタイトル書けないかな…って思ったんだが、むずいな)

僕は、30年位前に、某大企業に新卒で入ったんだけど、んで、まぁそこは日本の中でもトップクラスに大規模な会社で、んで2、3年だけ働いたんだけど、新人はやらされるわけよ、議事録作成。

もう嫌で仕方がなかった。だって誰も彼もが、主語を省略した話し方しかしないんだもの。ホントよく覚えてる。そのクセその通りに書いて上司に提出すると「何が何だかわからん(怒)なにがどう決まったのか、わかりやすく書け」なんて言われる。おいおい、そもそも何を決めるのかも会議の前に明確になっていなかったし(ただの定例会なのだ)、「誰が何を」的な5W1Hをはっきりと発言している人なんてほとんどいなかったんだから、書きようがないじゃんっ!!と思ったものだ。

僕は、もうホントに訳が分からなくなり、MDウォークマンを会議室に持ち込んみ、録音し、それをプレイバックしつつ、文章をなんとか書いていた。要は音声起こしだ。んで、それを提出したら、上で書いたような怒号を浴びたわけだ。

要は、根回しをしろと。上司の言いたい事というのは、そういうことだった。会議が終わった後、出席した幹部クラスの人間、関連会社の人間に「こういう議事録でいいでしょうか」とお伺いを立てる。あるいは、実際の発言の内容よりも、この会議に出席していない人がその議事録を読んで、何が決定したのかがわかるように書けということらしい。内心「こないだの会議、、なにも決まってなくない??」ってもちろん思ったのだが、自分はプロジェクトの取りまとめの部署にいたので、そこから出る議事録の内容は、最も効力を持つ内容になる、つまり、会議によって物事が決まるのではなく、実際は上層部(つまり新人の自分がいるこの部署だ)が決定する、ということなのだな、と、うすうす感じた。

* * *

もう、、、なんていうか心の底から「会議とは無意味だ」と思った。でも、そうは言っても新人の仕事としてこなさなくてはならなかったので、まあ苦しみながらやったけど、今思い返しても無意味だと思う。いや、会議が無意味というよりも、目的の設定されていない会議は無意味だ、といったほうが良いか。

それと、主語。発言者の発言にほぼと言って良いほど、主語が含まれていない。なので、内容はなんとなく入ってくるけど、責任を負うべき立場の「人」だけが曖昧のまま進んでいく。当然それを文字に起こしても同じだ。むしろ、その「曖昧」さがより「明瞭」になり、難解な資料が量産される。

もう、これって、日本語の問題なのかな、とも思った。あるいは、議題や意見や評価を客観的に捉えるのが苦手、つまり議論そのものが苦手だっていう、我々日本人(もちろん僕も含まれる)の問題なのかもとか。

そんな体験も、もうかなり昔の話だし、今は様相が違ってきているのかもしれないけど、本質的にはあまり変わっていないだろうと思う。もちろん「資料を残す」というのは資料の内容や質とは無関係に重要なので(それがオリジンなので)、やるべきことだと思う。でも、それを掘り起こして得られる物は何かよくわからないドロドロだけ、ってなることが多いと思う。

 

百科事典の思い出

百科事典か。懐かしいな。

小学生の頃、家のサイドボード(というのもいかにも昭和っすよね)の中にズラーーっと百科事典が御座しましたわ。たしか小学館だったかな。子供向けじゃなくて本格的なやつだった。茶色でいかにも「百科事典」っぽい風貌のやつだった。まぁ、当時、何事も外見から入る親だったみたいで、多分特に意味もなく買ったのだろう(or買わされたのかも知れぬが)。

小さい頃は近づき難い存在で、とくに親から言い付けられてた訳ではないが、「これは開いてはいけないもの」と感じていた。でも、小学4年くらいになって、なんかのきっかけで、一冊を取り出して開いてみた。なんかこう、思春期の始まりとリンクしていたんだと思う、イケナイものに対する好奇心、自分にとってのそれは、この百科事典だった。

開いてみたら、ピカピカでツルツルの紙で、横書き2段組くらいの両面は、小さい字と写真でびっしり埋められていた。恐らく一度も開かれたことのなかったのだろう。買ったはいいが、我が家にとっては書物ではなくインテリアの一部だった、いやインテリアですらなかったかもしれん、もはや完全に忘れ去られた存在だったに違いない。そんなわけで、中身はとても綺麗だっだのを覚えてる。

その後、時間のある時よくリビングのカーペットの上に百科事典を何冊か並べて、「宇宙」とか「地球」とかいう項を読んでいた記憶がある、中身は覚えていないが。しかし一方で、いいから早くしまえみたいなことも言われて気がする、まぁとにかく、うちの家庭では、百科事典は何かしら忌み嫌われてる存在なのかもと、その時薄々感じた。こんなに面白い書物なのに、と。

その頃事情があり引っ越しをすることになり、百科事典ともお別れすることになった。その引っ越しは当時の自分にとって大きな出来事で、その後百科事典の事なんてすっかり忘れてしまった。いま振り返ってみると、小さい頃の家の思い出の風景の一つとして、記憶にのこっている。あのクソ重い書物は、結局一体どこへ行ったんだろう。

僕の「匂いカミングアウト」①〜③

昔、林雄司さんのやってたWebヤギの目で「においカミングアウト」っていうのがあって、あれ面白かったなあ。というわけで、突然ですが、僕の匂いカミングアウト5選です。順位とかはないです。パッと思いついた順番で。

① 図書館のエントランスの匂い。もうちょっと特定すると、つくば市中央図書館の入り口エレベーター入った直後の空間の匂い。

【解説】

内部全体がちょっと暗めで、カソリックの教会を思わせる様な空間が、とても心地よい。肝心の匂いの方だが、とても説明できそうに無いんだけど、なんかこう、、つくばっていう学術都市の、ちょっと浮世離れした感じの匂いがする(全然説明できていない)。でも、唯一無二の匂いがする。他の図書館ではお目にかかれない匂いだ。ちなみに出入り口自動ドアは電子音の「エリーゼのために」の冒頭が流れるんだけど、それも空間全体でいい響き方してて、全然ちゃちく無くて、良い。今は違う音に変わってしまったのだけど。

② 家具屋の匂い。

【解説】

今は、あまり行く機会がなくなってしまった。木の香りがそこらじゅうにしてるあの匂いが大好きだ。「たんす」のセクションとか、「ダイニングテーブル」のセクションとか、とても好きだ。桐箪笥とか、いいですよね。実は密かに欲しいと思ってるんですけど、まぁともかく。小学生の学習机セクションも割に面白かったり。ポイントは「家具屋」ってところで、決してニトリではない。IKEAでもない。無印良品でもない。これらの店舗は無臭だ。何の匂いもしない。「家具屋」じゃなきゃこの匂いはしない。そもそも家具屋なんてあるのか?ということになるんだけど、ちゃんとあります。家具屋に行こう。

③ 営団地下鉄の改札・階段・プラットフォームの匂い

【解説】

特に、改札入って、階段を降り始めた辺りで下からものすごい勢いで吹き登ってくる空気、あの匂いが堪らなく好きだ。地下鉄のトンネル内部の空気が押し出されてここまで登ってくるのだね。正直言って、臭いんです。でも、それはタクシーとかの排ガスと割に似てて(最近はもう無いかもしれませんが)、クセになる臭さなんですよね。なんかこう、風景とかの一部といえなくもないというか、この匂いがあってはじめて、この場所なり、乗り物なり、ひとときがあるんだ、っていう。また、生暖かいっていうのが、余計に泣ける。冬とか、マジで「はぁ、、、落ち着く」っていう気持ちになる。俺はなった。何度か。

(補足)営団地下鉄ってのはもうないですね、東京メトロか。

あとの二つはまた今度。匂いの記憶ってのは、案外戻ってくるはず。

コロナによって失ってしまった基礎体力を取り戻すのだ

最近、以前に比べて、疲れが溜まりやすくなったとか、集中力が落ちたとか、燃え上がるような活力が沸かなくなったとか、肉体的にも精神的にも体力が落ちたなと感じることが多い。

特に仕事で、だ。

これは、自分が歳をとったということ以前に、ここ2、3年のコロナ禍で仕事が減ってしまい、もともとやっていたことをやらなくなったせいで、気付かぬうちに基礎体力が落ちてしまったのが原因なんだろうと思う。

やれていたこと(can do)がやれていない。やりたかった(wanna do)ことが遠ざかってしまっている。すべきこと(must do)ができなくなっている。これらは筋肉と同じで、常日頃動かしていないと、この3つのdoに必要な体力は簡単に落ちてしまう。人間というのは元来ナマケモノで、なんとかしてリズムを作り出し、自分をその習慣ともいえるサイクルを回さないとダメになってしまう、と思う。やばい。習慣だなんて呼ぶとつまらないと思われがちだが、よほどの強靭な精神の持ち主、あるいは才能溢れた人物でない限り、僕のような普通の人間はそういった拠り所がないと途端にダメになる。あるいは、意識的に自分にハッパをかけないと、怠ける。

以前、「医龍」という漫画を読んで、その主人公の天才的な外科医の台詞を思い出す。「能力ってのは常に向上してるって自分が思えていないと維持なんて絶対にできない」というセリフ、これはほんんんっっっっっとに、その通りだと思う。なんとなく無自覚に仕事をしていると簡単にクオリティは低下する。熱力学第二法則にも示されている通り、人間の科学的認識による宇宙の摂理に従えばエントロピーは増大するのだ、ありきたりにいえば「だらしなくなる」わけだ。部屋は散らかり、意識は澱み、目的は散逸する。しかしそれは俺の望むところではない。頑張るしかない。なんとかして、習慣でもなんでもいい、在りたい姿をとりもどすアクティヴィティーを実行することで、なんとか維持できる水準にまで自分を取り戻すしかない。

さ!がんばろう!

栃木の低山を歩く

今日は、最初は丹沢に行こうと考えていたんだが、予定を変更して先日雨で行けなかった栃木の太平山に行ってきました。そこはいくつかの山が連なっているミニ山塊みたいな感じだ。太平山(341M)、晃石山(419M)、青入山(標高不明400M位?)、馬不入山(345M)が稜線でつながっていて、登ったり降りたりしながらそれらの山々を歩いてきた。まるで巨大な象の背中を歩いているような気分だった。

栃木って、俺の中ではあまり面白味のなさそうな県という偏見が以前からある。多分これは自分が茨城県民だから感じる偏見で、おそらく栃木の方々も同じように「茨城県ってあまり面白味のなさそうな県」と思っているだろう。隣同士の県民感情あるあるだ。しかし、去年あたりから山登りを割にするようになって、いやいやいやいや、、、栃木って山登りするには素晴らしい土地なんだなということに気付かされた。まだ自分は日光位しか行っていないけど、高い山はもちろん、多くの魅力的な低山もたくさんあることを知り、これは毎週山に(栃木に)行ってもいいよなぁ、って思った。しかも近い!

山登りをするようになって、他県に対する自分の偏見が少しなりとも取り除かれるのは良いことだと思う。まぁ逆も然りで、茨城には、栃木や群馬には存在しない海の魅力がきっとあるんだろうな。でも、俺は今のところ海よりも山に興味があるので、視線は自動的にそっちに向いてしまう。

8時に太平山神社にお参りして、入山。山登りというかハイキングという感じ。傾斜もさほどでもない。平日の午前中で、人はほとんどいない。ただ、2月に熊が目撃されたというニュースを訊いていたので、やや不安な気持ちもあるが、まあなんとかなるだろう。熊はさておき初めて登る山に入る瞬間はやっぱり緊張しますね。人気がないとなおさらだ。

最初の太平山の頂上にあっという間に到着。頂上に来た感じもほとんどない。富士浅間神社という神社がある。社は暗い赤い色の塗壁で頑丈に封印されており、「盗難の防止のためお賽銭は入れないでください」という但し書きが貼られてあった。がらんがらんと鈴(?)を鳴らして、挨拶をして。家を出る時ちょっと寒かったので冬用のアンダータイツを履いてきてしまったが暑いのでここで脱いで、フリースも脱ぐことにした。

次、晃石山(てるいしやま)。まぁ、フツーの山。とりたてて感動するわけでもなく、なんか、まぁ、ここが頂上なのね、へぇ、という位。登っている間、ものすごく歌の上手い鳥がいて「ソラシド・ソラシド・・・」という上昇音型をいろんなリズムのバリエーションで歌っていた。すげえなぁ、上手いなぁ。ヴィデオに撮ったつもりが撮れてなかったのが残念。

そこから下りになって、桜峠という名の峠を通過。なかなか素敵な名前。ちょっとだけ休憩。山桜の木から「ひらひら」と花びらが降ってくるのがよかった。カッコウが「かっこう」と鳴いていた。ウチの目の前の森でもよくカッコウは鳴いているんだけど、山の中のカッコウの鳴き声はいい感じに周囲の地形に反響して、聴こえ方が変わるのが面白いと思った。自然の音楽ホール。

この辺りまで来て、だんだんと山歩きに飽きてくる。ちょっとした上りと下りが単調にだらだらと続くだけで、身体がむず痒くなってくる。山に登っているという気持ちがしてこない。そもそも今日は「低山山歩き」なので当たり前なのは分かっているのだが…。上りで身体の筋肉は一応は動き出しはするのだけど、直ぐに終わってしまうのでぜんぜん目覚めてくれない。筋肉達は「ま、普段通り適当に過ごせばええんやろ?」という日常のだらけモードのままみたいだ。ここから麓に降りることもできるのでそうしようかなとも思ったが、せっかく来たわけだし、もう一つ先の山まで行くことにする。

馬不入山。もうこれ以上いいかなということで、ここで引き返すことに。出会った女性と少し話をする。自分の感想を述べると(正直言って全然アドレナリンが出てこない。がっつり直登の山の方が自分には性に合ってるみたいです)、私もそうなの!と言っていた。まぁ、もちろん山になんの責任もないし、そもそもわざわざ来てるのは自分の方であるので、こんな文句を言ってても何も始まらない。もういい加減麓に降りて出発地にもどろうと思っていたが、歩いてきた稜線をもう一度引き返してみることにする。

桜峠から晃石山に登り返す坂はなかなかの急登で、降りてくる時は何も感じなかったが、登り返しで両腿が攣りそうになる。ここにきてようやく筋肉が目を覚ましたみたいだ。後半も過ぎた今になってようやく身体が登山モードに切り替わってくれた、よかった。身体が登山モードに切り替わると気持ちも切り替わる。目だけでなく身体で山を楽しめるようになる。弾みが付いた足を使って、ずんずんと来た道を引き返す。途中で何故か頭の中でブラームスの4番が鳴り出し、脳内演奏しながら太平山神社まで一気に歩いた。ブラ4、やっぱいいなぁ、山歩きしながら感動してしまった。12時頃に神社について、フィニッシュ。車に戻って、帰宅。車中では大西順子のピアノトリオを聴く。すっげえぇ、かっこよかった。今までなんで気づかなかったんだろうというちょっとした動きとかが新鮮だった。太平山はブラームスと大西順子っていう思い出ができてよかった。

想像力を駆使できる人

『「仕事ができる」って何をもってそう言うんだろ。。
スピード、正確さ、コミットメント力、ロジカルさ?全部できること?』

というTweetを今朝読んだ。

私は「想像力を駆使できる人」は、たいていの場合仕事ができる人だと思う。これは、出世できる、稼げる、スキルが高い、といったその人の個別的な事ではなくて、他の人から見ての評価のことだ。言い換えれば、ある人の働きぶりを私が見てたとして「この人は出来る人だな」と、ついうなってしまうような人のことだ。
まぁ、要は私自身、そういう仕事を常にしたいものだと考えていて、なかなかむつかしいことではあるけど、意識することはやっぱり大事だと思う。なので、以下にそういう賢人像について言葉にしてみる。

想像力を駆使できる人は…

Level1:自分で考えて行動できる
たぶんそうなのかなぁ、こうなんじゃないかなぁ、とか常に考えを巡らせていると(これこそが想像力を駆使してる状態)、自分の取れる選択肢(オプション)が増える。もちろんどれも確かではないので、そのチョイスを間違えると結局その時は仕事としてはミスってことになるけど、それは事前に自分でこしらえたオプションなので、自分にとってはミスではない。「あぁこれは違ったんだね」という学習となる。そうやってフィードバックがたまっていって、能力が向上していく。

Level2:周りと違うこと「も」できる
こうやって能力が向上していくと、その人独自の仕事の仕方が出来上がってくる。これは、ルールや指示がなくてもある程度は仕事ができる状態だ。そして、その能力は周囲からの評価を取り入れつつこしらえたものなのでとてもソフトに出来ている。職人頑固気質もいいかもしれないけど、それだといわゆる「浮いてしまう」「役に立たない」状態になることもある。想像力で鍛えられて来た人は、周りがきちんと見えているので同じこと「も」できるし、違うこと「も」出来る。言い換えれば、仕事として正しいことも出来るし間違ったことも出来る。

Level3:自分がしたいことができる
この3までくるともう最強レベル、ロールプレイングゲームで言えば武器防具が全部そろったみたいなもんだ。自分のすべきことや出来ることが明瞭になっているので、自分の能力を「したいこと」に注ぐことが可能になる。あるいは自在に調節することが可能になる。そして、やりたくない事はやらない事も可能になる。この段階になると、それをやらないことでどうなるかが分かっている(想像できる)。どうしたらやらずに済むかも分かっている(別の選択肢を提示できる、先延ばしにできる、必要性を吟味できる)。そうやって、自分にとってのしたいことに集中できるようになる。

ちなみに、想像力を駆使できない人、というのはどんな人か?あまり追求したくはないが、、、

・言われたことしかしない人
・間違いを嫌う人
・ルールにしがみつく人

こういう人は想像力を駆使できない、というか多分想像する力をあまり好まないのかな、と思ったりする。

新歓 – 自分がコントラバスを始めたきっかけ –

新歓かぁ、、そう言うシーズンだよねえ。あ、いまKERをラジオがわりにかけつつ仕事してるんだけどさ。

俺は、、高3の頃から絶対大学に入ったらオーケストラに入ってヴァイオリン弾くんだって意思を固めてて。

んでさ、たまたま同じ学類で高校からチェロを弾いててオケに入るって言ってる奴がいて、そいつと入学直後に仲良くなれて、一緒に入団説明会に行ったのだ。説明会の教室にやたらおじさんみたいな風貌の先輩(とにかく迫力のある人だった、Trp.吹き)と、いかにも頭良さそうな眼鏡をかけた(でもめっちゃ気さくな感じの人、この人はヴァイオリンだった)先輩がいた。もうひとり女性の先輩がいて、その人は、美人というのともちょっと違うんだけど、なんだかものすごく雰囲気のある女性で、しかもめっちゃノリのいい、ある意味体育会系な感じの人で。そして、この人はコントラバス弾きとのことだった。

そんな先輩三人がいる教室に入団したいっていうことを伝えたら、ガンガンに歓迎された。おうおう!!ようこそ!!いいじゃんいいじゃん、みたいな。とにかく楽しそうな人たちで、好感を持った。んでとりあえず練習場所行こうかと言って、2学の4Fに連れてかれて。

んで、俺はヴァイオリンやりたいっていう体で来たんだけど、身を乗り出す勢いで「ねね、君さコンバスやんない??」ってさっきの女性の先輩が訊いてきて。なんだか、今でもよくわからないんだけど(きっとこの女性が魅力的だったからだと思う)、「はい、やります!」って答えちゃったのだ。ほんっとうに、魅力的な笑顔と声で言われちゃったのだ。とても「いいえ」とは言えなかった。

これが、僕がコントラバスをやることになったキッカケだ。正直、この女性がいなかったらコントラバスをやることはなかったと思う。

・・・そのあと、この女性に連れられて4Fの広場(コンバス・スクエアと呼ばれていた)に着いたら、とんでもなくカッコよくコンバスを弾く先輩がいた。きっと、何かのソロをさらっていたんだろうと思う。こっちは弦楽器なんて全くの素人なんだが、誰が聴いてもこの人はどう見ても格が違う、プロなんじゃないか?、信じられないくらい上手い人がいた(彼はその後大学を辞め実際にプロの演奏家となり、ヨーロッパに渡った後、現在は指揮者として活躍している)のだが、まあ、、、とにかくこの人の存在はマジでデカくて、色んな意味で自分の音楽の基礎の一部を形成したと思う。

この人というのは、もう全てが、頭のてっぺんから足のつま先まで全部「音楽」で出来てるような感じの人で、音楽が全身から出まくってるような人だった。実際に出す音が、、すごいというか、音楽なのだ。ただの音じゃない、、これは音楽なんだって、ど素人の自分ですらその時に思った。引き込まれてしまう凄さがあった。その反面とっても面白い人で、一緒にいるだけで楽しくて、底知れない魅力のある人だった。

***

彼以外にも、まあとにかくすごい先輩がたくさんいて書ききれないのだが、このオケのコントラバスセクションに入って本当に自分はラッキーだったんだなと思う。

とにかく、衝撃的な新歓、入団体験だった。

理性と感性、INPUTとOUTPUT

さっきたまたまHSPのことを話題にしたYouTubeを見てて。

highly sensitive personality …、高度に感受性を持った気質ということらしい。

「感受性」というと自分は真っ先に音楽のことを思い起こすのだが、例えば「理屈抜き」でハモれたり合わせられたり、初見で耳コピできたり、まあ、いろいろ。

この、理屈抜き、ってところがちょっと気になって。

以前こんな話を聞いたことがある。人間の持つ理性と感性(その時は右脳と左脳といっていたが)というのは、使い道、つまりインプットとアウトプットでも異なってくる、というものだ。理性的だと思われる人でも実は話す時は感性的の場合もあるし、あるいは感性的だと思われる人でも実は話す時は理性的の場合もあると。簡単に表に表すと下のような感じだ。

この話を聞いたときに思ったのは、「両方の性質を兼ね備えている人というのは稀有ではなかろうか?」ということだ。

僕自分は(自他共に認める)INも理性だしOUTも理性の、バチバチ理性人間である。これには自覚もあるし、若い頃から自信がある、「ほんっとにしょうちゃんは論理的だよね」とゆわれることもしばしばあるし「おまえはよく考えるやつだよな」と誉められることもある(逆を言えば、もっと勘を働かせろよと言われてることに気づいていないのだが)。

感性的な人も結構身近に多くいる。僕の家族などはそうで、あまり多くの事柄について思考したりしない。そんなめんどくさいことは「はなっから」せず、自分の思った通りに感じ、それをダイレクトに外に出す。すごいと思う。到底自分にはできない。なので当然僕にとっては唖然とする場面も多く戸惑うことも多いのだが、まあ日常的に場数をこなしたせいか、慣れてきて、受け入れることができているから特に問題が起きることはない(これは理性のもつ利点の一つだと思う)。

というかそもそも、「INもOUTも理性」あるいは「INもOUTも感性」っていうのは、けっこう多い気がするのだ。私もそうだし、私の家族もそうだ。僕が、魅力的だなと感じるのは、「理性と感性を兼ね備える」人だ。

……、いるんですよ。ほんとに。兼ね備えている人が。

まず、INが理性的でOUTが感性的な人。素敵ですねぇ。しかも、魅力もばつくんだし、一緒にいてとても楽しい。でも、たまに怖いなって思うこともある。なにしろ、頭では全てを理解しているのだ(INが理性だから)。にもかかわらず自由奔放にそれを使ってしまうあたり、才能の塊なのか、あるいは天然のバカなのか(言い過ぎ)、とにかく自分では絶対にできない芸当をやってのけてる、すごい。そして、じぶんみたいなガチガチの理性人間はこういう人に丸め込まれてしまうんではないかという恐れもあり、いやーーすごいと思う。

そして、INが感性的でOUTが理性的な人。もうね、、、こういう人は、、、例えば僕が尊敬する音楽家の人は、みなこういう人だ。音楽家に限らず、自分にない、しかも自分が在りたい姿を具現化している人はこの気質を持っている人が多い気がするのだ。

なにしろ、INPUTの能力がハンパない。もしかすると、ちょっとは感性的理性的にもINしてるんじゃね??ってくらい、INが強い気がする(そう、さっきのIN理性的&OUT感性的の人は、その逆でちょっとOUTが強い傾向がある気がする)。なので、そういう人のOUTPUTというのは、ものすごい説得力というか、重みというか、刺さるものがあるのだ。自分がINもOUTも理性だから余計そう感じる。INの裏付けをビシビシと感じてしまうのだ。

こういうふうにグリッド分けみたいに見つめてみると「理性」という存在が自分にとってはやっぱり大きな意味を持ってくるのかなって思う、まあこれも「理性人間」だからこそ思う部分もあるんだろうけど。感性というなかなか自分は足りていない部分を理性的に肉付けしているみたいな。

久しぶりに買い物をした

好きだ!展をみにいった足で、本当にひさしぶりに街に出て買い物をした。本屋で単行本を買い、中古CD屋でCDを買い、ロフトで雑貨を買って、眼鏡屋でレンズを交換してもらった。こういう一日というのは本当にひさしぶりな気がする。楽しかった。

ちなみに、某所にはストリートピアノがあるではないか、弾いてみたいな…と思ったんだけど、今弾いてる人達が「おさらい」モードになっていたので、あえなくパス。

それと、足を運んだ中古CD屋、マライヤ・キャリーの遭遇率がハンパなかった、棚を左から右にずーっとみてると、1分に一回くらいの確率でマライヤのCDに出くわす。たしかにCD時代マライヤはすごかったものなぁ。

僕は屋敷豪太の参加する初耳のバンドのやつと、ポール・ウェラーのアルバム(何故かクラシックコーナーに無造作に平置きされていた、多分誰かが勝手においたんだと思う)とシングライクトーキングのアルバムをゲットした、締めて300円。

 

二月〜四月

二月。

昨日の夜は軽い雪が降った。今年初めて「お、なんとなく春の兆しが見え始めた」とか思った。こういうのってちょっと老化の始まりなのかな。何かと天候の話しをしがちとか。

いやそんなことはない…春の訪れってのはいつでも特別なものなのだ。寒さでこわばっていた身体が少しずつほぐれていく感覚、空気が入れ替わっていく感覚、新しい何かがやってくる感覚、二月はまだその準備段階で、でもたまに顔を覗く。

三月になると、もうそこはトンネルの出口で大きく深呼吸すると何か色々なものを吸い込んでいる感覚がする。ちなみに僕は花粉症ではない。三月を気持ち良いと感じられるのは運が良いのかもな。

四月になると一気に状態が変わる。「年度」という訳の分からない柵があるおかげで、気持ちが一気に落ち着かなくなる。広い草原を折角気持ちよく歩いていたのにいきなり通路を一列で歩かされるような気分になるからだ。

継続は力なりとは言うけれど​

「継続は力なり」とは言うけれど、アレは本当は、「好きなことはどんどんやった方がいい」と言う方がいいんじゃないかと思う。

下手でも、才能がなくても「好き」であれば続けられる、そうすると下手でも自分なりにこなせるようになったり、自分が気づいていなかった才能に巡り合ったりする、これは継続があってこそ。

逆に、好きでもないことを継続すると、時間や体力を消耗して健康に良くないし、そもそも気持ちがそこに向いていないから学びもない、「力」は成るどころか削られていく、と思う。

思えば人生というのはステージのようなものではないか

例えば嫌なことがあっても、カッコ悪いことをしてしまったとしても、栄光に満ち溢れた結果を残したとしても。

それは自分のステージの上の、話なんだと言う気持ちがある。短いながらもステージに立てて良かった、ステージというのは、自分を外側から観る、あるいは見返す、そういう体験を己に残す。あの、整然とした、美しく香りのある木目のステージの床、そこに自分の足と楽器を置く、その瞬間に自分に刻まれる記憶。それらは確実に有ったものだし、死ぬまで魂に残るものだと思う。

笠間日動美術館に行った

笠間稲荷に行ったついでに笠間の日動美術館に行った。

この美術館、すげえ好きなんですわ。館内の竹林がとても良い。今日は人も少なくてとてもよかった。屋外の広場から笠間の周りの山並みがみえてとても気持ちがいい。ジャコメッティの彫刻もあって好きだ。