こんにちは、暑いですね。今つくば市の気温は36度です。なんとなく空気が澱んでて、いろいろなものが霞んで見える気がします。まぁそろそろお盆だし夏本番だし、後戻りはできない、今年もこの酷暑を受け入れて生きていくしかないですね、あ、ちなみにいまiPhoneでパキスタンのカラチの気温を調べてみたらちょうど36℃でした。イスラームに改宗して、ラマダーンの習慣だけでも取り入れたいものです(基本夜に活動)。

さっきTwitterを見ていたら、寿司職人が、笑いながら手に持ったスプレーで金粉をネタや客の手やカウンターに振りかけまくってる動画が流れてきて、「なんてけしからんことをする板前なことか」と憤慨しそうになった。しかしまぁ、、、あくまで寡黙で、客の注文にもろくに返事なぞせず、黙って寿司を握り、「へい、お待ち」と、ぼそっと呟き、握りを差し出すような板前ってのはもう過去の話になってしまったのかな、とか、思った。

物価も高くなり、懐もさびしいし、すっかり寿司屋に入ることがなくなってしまったが、寿司屋っていいですよね、やっぱり。間口は狭くて、でも店前はきっちりと清められていて、夏なんかは水がキチンと撒かれている。店に入ると、まず酢飯の香りがして、それほど大きくない声で板前の「へい、いらっしゃい」の声がする。木組みの角ばった椅子に腰掛けて、おしぼりで手を拭き、とりあえず……、マグロとイカ、みたいに注文。注文なんて聞いてるのかよくわかんないくらいに、常に板前さんってのは動いている。なにやらネタを捌いていたり、下ごしらえしたエビを容器の中に詰めていたり、ほかにも色々な細かい作業を常にしている。「シェフというのは厨房で最も仕事をしている人のことだ」というのは僕の私淑する菓子職人の言葉だが、まさに板前は「常に動いている人=シェフ」といえる。そして、我々の心配をよそに、板前はちゃんと客の注文は聞いている。必ず。なので、しばらくすると「へいおまち」の声と共にマグロとイカが二貫ずつ目の前に差し出される。ネタを、わさびをといた醤油につけ、もぐもぐと食べる。うまい。次はエビとハマチかな、と思う。

***

小さい頃、住んでいた団地の近くに「やすけ」という寿司屋があった。家族でよく食べに行ったりしたし、七五三の祝いの時には二階の座敷で親戚が集まって祝いの膳を用意してもらったこともある。とても親しみやすかった店で、夜の開店前に遊びに行ったりして、見習いの若い板前さんなんかが小豆のアイスをくれたり、ガキだった僕らをよく構ってくれたりしたこともあった。ちゃんとは覚えていないけれど、子供ながらにマグロって美味しいなと思った。マクロの美味しさは、この寿司屋で食べた寿司が自分の中の基本になってる気がする。あと、玉子。ここの玉子は美味しかったな。玉子とシャリには海苔が巻かれてて、その海苔の風味もとても香り高かった。まぁなにしろ子供だったので他のネタはほとんど覚えて無いけど、母に聞いたら「あそこの穴子は本当に美味しかったのよ」と言っていた。

その後、田舎に引っ越した。高校の頃祖父が亡くなり、霞ヶ浦のすぐ近くの高台に祖父は埋葬された。その墓地の近くにある千歳寿司という寿司屋で、祖母や家族と共に食事をすることになった。店構えも妙に暗く、とてもオープンな雰囲気とは程遠い。場所も相当に奥まった所だ。「こんな辺鄙なところに寿司屋なんてあるんだな」とちょっと不思議な気持ちになったのだが、出てきた寿司は予想を超える美味しさだった。ネタは新鮮でとても大きく、シャリも大きくて、食べ応えがあった。酢飯もしっかり仕込まれていて、ほのかに温かく、ほの甘くふっくらしていた。後から聞いた話だと、住んでいた村の役場の偉い人とかの御用達として使われていた店でもあったそうだ。

蒲田に住んでいた頃は、よく東口駅前の回転寿司屋に通った。とても繁盛してた店で、常にお客でいっぱいだったが、回転のいいせいかあまり待たずに座れる。回転がいいので、レーンには活きのいい握りが常に流れていて、気兼ねなく寿司皿を取っては食べまくっていた。反対の西口側にも回転寿司屋があった。でもそこは一度しか行った事がない。残業で遅くなって東急の終電を逃してしまい、お腹も空いていたのでタクシーに乗る前に細い路地にあるその回転寿司屋に入ったのだ。もう0時を過ぎている。板前さんが手持ち無沙汰な感じで店内に1人だけいて、レーンには何も乗ってなくて(しかも半分だけしか廻してなかった)、注文したら握ってくれて、レーンに乗せて、ぼくがそれを取って食べた。こんなに寂しい回転寿司屋なんてあるんだなとその時思った。なので味がどんなだったか、ほとんど覚えていない。